ここのところは少子化で、若者の数が少ない。「バブル期」、「日本のイザナギ景気」とはよくいったものだが三十才以下にこのことを話しても誰一人分かる者はいない。
日本経済が戦後、最高潮を極めた、日経平均株価三百八十九円という信じられない好景気に、周りのどこをみても羽振りの悪い大人なんていなかった、自分はそう回想する
残念ながら、自分はその恩恵を受けられなかった人間だ
まぁせいぜいお年玉がクラスメイトより少し多く貰えたくらいしかなかったが、
かつて茲日本で、激動の経済成長を成し遂げ、二十一世紀は日本の世紀などとも騒がれたことが嘘のようにシーンと静まり返っている。時、一九八四年
日本全土は好景気に涌き、街中では札束が舞っていたという
今の若い人にこれを説明してもピンとこないだろうが、株価三八九円とはつまりほぼ四倍率と考えてよい
百円のボールペンが三九〇円で売れるということは、二九〇円浮くわけだ
誰が考えても儲からないはずはない。
この頃、東京港区の芝浦では、御存知の方も多いと思うが、世界の頂点と謳われた『ジュリアナTOKYO』が開演*註:八四年ではない(openは九一年一一月一三日
もうこの時代はとうの昔に終わったが、つべに懐かしい動画は沢山残っている
もし仮に今もこの店が残っていたとしても、料金が高いと感じて今の人は躊躇するだろう
それもズバリ、男性五〇〇〇円の女性四五〇〇円の、週末一割増ということだ
なるほどさすが中々高い
でも昔の大人はそんなことそっちのけで、毎日通い詰める人も沢山いたという
而も、一晩でカネの使い方が尋常じゃない人もいっぱいいたそうだ
アッシー君、ミツグ君、メッシー君というのは
この時代の名残で、女どもが男を顎で使っていたような、なんというかカオスな数年間だった
尤もたったの数年だが・・
兎に角、熱量は半端じゃなかったようだ
今の時代でどこに、こんな真似できるものあるだろうか
断じて、無い
というよりあるわけがない。
日本は既に、基幹産業の主要部がほとんどすべて壊滅し入れ替わった
たとえば、日本電電公社株式会社が⇒NTTになるとは、明らかな外資参入になっている
取締役は日本人でも、株主が外国人なら意味がない
そこで得られたカネは外国へ消えていくだけ。
日本の得意分野だった経済力は、いまや支那と東南亜細亜に奪われ、剰え支那の工作員が都知事や政界まで入り込んで攪乱している。
くどいかもしれないが、日本の戦後復興を大成功に収めたのは日本人の知恵と努力の結晶だ
ここは誰も否定しない
が一方で、戦後八〇年の昨今、このめまぐるしい低迷と混乱振りもまた、日本人独自の病理に基づいている
日本人とは戦後、GHQの贖罪教育で民族意識を失ってしまった
米国の押し付け憲法を崇拝し、外国文化を積極的に取り入れ、安全保障さえも米国に依存しなければならないという情けなさである。
信じられないかもしれないが、自国の軍事を他国に移譲するということは、危機管理が存在しないということだ
というよりも、軍事が米国が担当しているならそこへ当然、介入することはできない
そして勿論これもいうまでもなく、凡そ先進国の中で、自国に他国の基地が存在する國は無い
日本だけだ。それも全国一五〇ヵ所に渡って在る
二度の、石油ショック
円高ショック
科学技術力
工業力
文化発展貢献
貿易立国
そしてあらゆる産業の興隆
たった、バブル崩壊というひと文字で、経済が跡形もなく崩壊していくような勢いで意気消沈し迷走していく
日本人に残された経済力を失っては、もはや立ち直るすべはない。
然し・・実はこれら、ここまでは特段、大した話ではない
本当にいいたいことはそう、タイトルにある通りのこと
『経済がダメになったならもう辞めてしまえばいい』
所詮はモノだゼニカネだのと、物質と資本ありきの絵空事でしかない
もう好い加減こんなものウンザリなのではないか
前半はいいことばかり並べ立てた
しかしそのどれもがここに来て、無駄だったとはいわないが結局は、無意味だったとそう思えるのではないか
もう少し突っ込んで言えば、皆保険だの年金だの、自動車税だの、もうそんなものヤメロといいたいのだ
極論を言えば学校へ行くこともそろそろ自由制にしてもいい頃だと思うし
働くことさえ強制でなくていい
本来こんなこと当たり前の権利なのだ
現代人にはこのことを述べても喧嘩になるだけだが、そもそもこの世界は何も無かったのである。
だからこそ自分は政治と経済の終わりを寧ろ推奨しているところだし
少子化なんて歓迎していいくらいではないのか
人間母数が減れば物質や資本は必ず比例して小さくなる
その時こそが本当の勝負だ
ここで移民を入れたらすべて台無しになるだろう(もう遅いが。
もう一度念を押すが、経済発展なんて結局はいつか無意味で終わるのだ
ここで、くだらんSDGsやスーパーシティ構想など持ち出して将来の日本をどう持続するかという議論ではなく敢えて
どうやって身の処し方を考えるか、どういう終わり方がいいかを思い切って想像してみるのだ
個人的な見解では先ず、縮小化政策が望ましいと推薦している
第一に、空き家問題を解決し
第二に、不要な不動産を見直し
第三に、三次産業以降の規制
第四に、都心一極集中の分散
という具合に、段々と規模を狭めていく。既に地方の、幼児教育施設や小学校は次々と閉鎖されており、何もせずとも一部に効果はみられるものの、まだまだ手ぬるいというのが現状かと
こんなことはっきりいっていいものか悩むが、
いまどき子を産む人って天然記念物もんですかね
いやこれ実際、自分のとこでは本当にそうなっていて
もう七年間誰も産まれていないのだ
地方の集落なんてどこも似たようなものだ
であれば、だからこそいっそ、まず一旦この世界を終わらせてみるのだ
人が亡くなり、産業が成り立たなくなったときこそ本当の真理が視える時だ
自分はその時が来ることが待ち遠しくて仕方がない。