善と悪後編Hatena.ver(二十三

國際政治経済時事の、気になる裏手情報を公開。アメブロに与り変わって茲はてなに鞍替えと颪為る。

ハザールMafia19:経済という概念をぶっ壊せ!!

 

ことさらに日本の戦後高度経済成長復興期を賞賛などしても仕方がないことはわかっている
日本は紛れもなくあの戦後、世界にかつて類をみない復興を遂げた
それは誰の眼に見ても明らかだ
『日本の二一世紀』や、『イザナギ景気』などと騒がれていた
今じゃそれも、恰もなかったかのよう嘘のように静まり返っているが・・

実は昨日四日、なんとあのNTT法が可決したそうである
NTT法とは、長年通信インフラを支えてきたNTT(旧・日本電信電話公社)を、外資に売却してしまえる法である
法というより売国政策としかいえないだろうが、
まさかこれほど簡単に成立してしまえるとは思わなんだし
あの大谷翔平の通訳騒動(水原一平の賭博依存問題)のウラでまんまとせしめられたようだ
この法が通れば、日本人の個人情報など鼻歌交じりで筒抜けになるという
なんともバカなことをしでかしてくれたもんだが
これに反対した議員はほぼ〇だったというからさらに驚く。

超・劇的な戦後復興を冠した経済力は、五十年経って影も形も失くなってしまっていた。

この國は今や、お株を支那を筆頭とし米国、東南亜細亜諸国にまで奪われている
経済大国*(所詮幻想だが)が根底から揺らいでいる。

唯一点言うならば、
あの神がかりな復興は日本人の努力と英知に依るものであることは敢然たる事実。

問題はその後
これから四十年目に突入するデフレ景気を解決できず
度重なる民営化と法の規制緩和を連発させ
剰え外資に企業権を売却できるなどという世紀の悪法を貫き通し*(政治家ほぼ全員が売国奴だからこうなる
低迷に次ぐ低迷で尚、ここまでやられて悔しくないのか反撃することさえできず
吾々は病理の床に臥せたままでいる。

これは、戦後日本人が民族芯を失ってしまったところに原因が在る。

米国がたった一週間で作った憲法を崇拝し
海外文化を喜んで受け入れ、時には自文化をも蔑ろにしてまで
国家存立の最上位にあたる安全保障さえ米軍に依存している始末

この際ハッキリいっておかねばならないが
自衛隊とは、国防のためにあるのではない
この組織は紛れもなく、米軍を補佐するためのもので
米軍の指揮で民間人を攻撃しろといわれれば
恐らく日本の自衛隊は日本の民間人を攻撃せざるをえないということだ
つまりこの國には、危機管理能力というものは存在しない
凡そ先進国の中で、全国百五十ヵ所に渡って外国基地が駐留するというのは全く例が無い
このことを何卒重々、心に留めておくことだ。

戦後日本は政治も軍事も文化も伝統も
すべて棄ててしまった。

それは注意深くみればある程度、気骨のあるお人もいるにはいるだろうが
主権も主導権も失い
諸外国のいいなりで
諸外国に依存し
額に汗して国家再建を努め上げて
貿易立国まで起ち上げて
それがたったのバブル崩壊ショックごときで
意気消沈しもうダメだと嘆き、何もかも放棄し
未だに迷走しているとは何事か

日本唯一の武器といわれていた「経済力」を失っては成り立っていけない。

それはそうかもしれない然し…

ここで逆転の発想が浮かぶ
これは飽く迄個人見解に過ぎないが
何もかも放棄し といったが、思い切ってその屋台骨も放棄するのだ
つまりは経済という概念そのものを
今のマインドコントロールされきった日本人には難しいかもしれないが
自分は地方在住だから知っているが
全国の地方はもう既にその最中に入っている
地方は、廃れに廃れまくっているのだ
またまた、アレの登場となるがここで
『日本列島大廃業時代歓迎』と相申しまして
敢えて滅びの道に突き進むのである
その先にみえてくるものは決して、絶望とも限らないと自分は思っている
勿論、これは少し危険な賭けだが、
経済を打破することによってそこにぶら下がっていたものを振り落とし清算(精算ではない)し
あわよくば新時代の幕開けに期待するというもの
新時代は、資本と民主が無い社会制度を所望する。

具体的には、労働の無い社会
教育の自由化
支配やカネや金利の撤廃
等々・・
人々がなにもかも自由でいていいという主義の生き方で
今までとまったく百八十度違う、牡丹の花が鮮明に咲いている様に
まるっきり何もかも新たな幕開けということだ
それにはまず、経済の撤廃がなんとしても大前提になるだろう
今の社会に依存したままでは絶対にこのような未来が開けることは無い
地球が半分に割れてもあり得ない
だからこそあのイビツな、
既得権益や他力本願や、支配と優生思想、生産性の向上・依存・既存からの脱却
もはや「脱却」と呼ぶのさえ生ぬるく
完全に捨て去る
これ一点のみ!
その気概を全員が等しく所有したときこそ
真の光明は訪れるのだと信じているのだ。